人生初の献血
約半年にわたる自動車教習の緊張ですっかり疲れ切っていたが、教習所を卒業してもまだ緊張は続く、門真運転免許試験場に行って普通免許の交付を受けなくてはいけない。
自動二輪の免許があるので学科試験は免除。なんだ、そんなら楽勝じゃんと思われるかもしれないが、視力検査という最後の関門が残っているのだ。
これまで免許更新時の視力検査はなんとかギリギリでパスしてきたが、教習所入所のときの視力検査もギリギリで、本丸の門真で落ちたらどうしようかとドキドキなのである。
わたしは絶望的に眼鏡が似合わないので、できれば眼鏡は作りたくない。しかしここまで来たのだから、フェイルとなれば一旦帰って眼鏡を作り、再び視力検査に臨むことにしようと、お白洲に向かう罪人のごとき神妙な気分で京阪電車に乗った。
朝から目に良いとされる肝油ドロップ2錠を口に含み、YouTubeの視力回復動画を見ながら古川橋駅に到着。試験場に着いて必要書類に記入、手数料を払う。いよいよ大岡裁きの刻とあいなったが、30秒もかからずあっさり合格した(^^;
さあこれから写真撮影まで3時間以上待たないといけない。ららぽーと門真でも行って時間を潰そうかと考えていたら、試験場入口で献血の受付をしてたので、これ幸いと人生初の献血を申し込んだ。献血は車の運転と並んで「死ぬまでにしてみたいこと」の一つである。
若い頃は、自分の血を抜かれるなんておぞましいと思ってたが、年寄りになって「あなたは献血できません」と断られる前にやっておくべきだと思い直した。それに「女性が男性より長生きなのは月経により定期的に血を捨てているからだ」という説もある。知らんけど。
献血会場はドリンク飲み放題で、無料自販機のコーヒーやらいちごミルクやらカルピスやら好きなのを2杯以上飲んでから採血する。
「先生、ちょっと血圧高めですか?」
ええ、視力検査が受かるか心配だったので緊張して。んっ?先生って言った???
採血担当の看護師さん、ことあるごとにわたしを先生とよぶ。彼女は何を根拠にわたしを先生と認識してるのだろう?学校の先生?弁護士の先生?まさか医者が献血ってこともないか。
10分ほどで400ccの採血が終わり、待合室で15分ほど休憩。特に血が抜かれたから気分が悪くなることもなかった。
まだ時間があるのでららぽーとまで行こうとぶらぶら歩いてたら、周辺にハードオフやらセカストやらオートバックスやらがあって見ているうちにいい時間になった。ららぽーとまで行かずに引き返し、試験場の食堂で「名物カツカレー」790円を食べた。
写真撮影が済んで、ようやく免許証を受け取った。髭面で金髪の還暦前の男が写っている。ハロウィーンの仮装で染めた髪が残っていたのだ。看護師さんはこの風貌を見て、美容師の先生だろうと判断したんだな。当たらずとも遠からずか。
教習とバラの日々
テレビドラマが結構好きで今でもよく見るのだが、最初面白くても途中からダレてきて、最終回がどんな結末だったか思い出せない作品がすごく多い。近年のドラマは1クール3ヶ月、10回くらいで完結するものがほとんどで、世界観の作り込みが充分でないせいではなかろうか。
子供の頃、「最終回」といったらもう絶対に見逃せない一大イベントで、「俺たちの旅」や「飛び出せ!青春」に「熱中時代」、あるいは「天才バカボン」だろうと「あしたのジョー」だろうと、ブラウン管の前に正座して、「泣く準備」をして待ったものだった。
やはりドラマが一年くらい続くものだと、途中で別の脚本家が入ったり、チェンジアップのような実験的な回もあったりで、ドラマの世界観に深みを与えていた。
主人公との別れは、まるで親友との別れのように感じられて胸を熱くした。やはり3ヶ月10回程度だと感動が薄い。
この教習所生活も、たった半年足らずであるから別れに涙するほどではないものの、一抹の寂しさはある。お世話になった事務員さんにはありがとうございましたと心からの感謝を告げ、帰りのバスに乗り込んだのだった。
あと2時間補習するかと言われたら、いやぁーさすがにごめんだけどね。
卒業式の最後に教官から「ラッキーですね、今月卒業の人は特別にSDカードがもらえま〜す!」と言われ、受け取りの印鑑を求められた。
????SDカード??何ギガバイト?サンワサプライとかの?一体何の関係があるんだろう?と疑問に思ったウブなジミーは、
「何のSDカードですか??」
と手を挙げて質問してしまった。教習の日々は終わったが、一人前の男にはまだなれそうもない。免許があれば酒抜きでバラ色の日々が訪れるのだろうか?
(第一部おしまい)
危険なアイツ
「いっぱい付いてますよ」
えっ?何何っ??
教習生は教官の一挙手一投足が気になるものだが、卒業検定中に教官から話しかけられたらもう緊張で漏らしそうになる!
「ほら左手に」
ふとハンドルを持つ自分の左腕を見ると、着ているGジャンの腕に無数の「ひっつき虫」が付いている!さっき運転交代で車を降りた時、路肩に生い茂った雑草に擦れて付いたのだろう。いや、こんな時にひっつき虫なんかどうでもいいんですけどぉ!( ̄▽ ̄;
信号待ちの間に教官と自分で腕に付いたひっつき虫は取り払ったが、ひとまず減点でなくてヨカッタ(^^;
気を取り直して運転再開、すると横断歩道でもない場所で道路工事の作業員が道路中央に歩いてきて、センターライン手前で立ち止まった。おいおい何すんねん!こちらを見ながらじっと立っていたのでそのまま通過した。あれは減点になったかもな。
それからは調子を取り戻し、路上ではジミー的にも納得の運転ができたように思う。
三番目の教習生と運転を代わり、無事に路上での検定終了。教習所に戻り、最後に方向変換左バックの試験だが、これもなんとか引っかからずに出ることができた。これにて検定終了!
教官からの講評で、「ジミーさん、危険なところがありましたね」と指摘があった。例の工事作業員だ。「一旦停止して横断を待つべきだった」と。作業員が横断するかどうか不明で、何もない道路の真ん中で、こちらをガン見で突っ立ってたので危険なしと判断したが停止すべきだったか。
ロビーでおよそ1時間後の合格発表を待つ。手応えはあるが、ひょっとしたらと不安にもなる。
「ただいまから卒業検定の合格者を発表します」との場内アナウンス。結果はロビーのテレビモニターに教習生番号で表示されるのだ!!!
(つづく)
ポニーライド
卒業検定不合格となると、最低1時間の補習(5,500円)と再受験費用(5,500円)の合計11,000円が追加でかかるのだが、18歳から29歳の教習生には「安心パック」が無料でついていて、いくら落ちても、補修を何時間受けても追加料金がかからない。
したがって、たったいま信号無視で検定不合格が確定したポニーテールのお嬢さんもたぶん経済的ダメージはない、と言っても教官に補助ブレーキを踏まれたらそりゃあショックに違いない。
万が一、わたしが不合格の場合は、追加料金に加え、補修時間の確保、さらに検定のためにまた休みを取らなくてはいけないのだからたいへんだ!これはなんとしても一発合格と行きたいところである。
不合格確定のポニーちゃんも残りのコースを淡々とこなし、いよいよ運転交代、ジミーの番がやってきたぜ!!
黙って見ていた後部座席から運転席に乗り込む。シートベルトを締め、座席を調整、ミラーも大丈夫。よしエンジンスタート!サイドブレーキ解除してドライブに入れたら右ウインカー、目視で安全確認、クリープ現象を使いゆっくりと出発だ。
ポニーちゃんが不発だったとはいえ、わたし自身、路上教習はさんざんやったからいささか自信はある。ここは還暦ジミー(まだなってないが)の余裕を見せて難なく完走したいところである。
失点カウント無しの100メートルを過ぎ、余裕の信号待ちをかましていると、原則、進行方向の指示以外はアドバイスしないはずの教官がボソりと呟いた。
「ジミーさん、ちょ、ちょっと」
ドッキーン!心拍数マーックス!ジミーピーンチ!!!( ̄▽ ̄;
(つづく)
正攻法で勝て!
なんでもかんでも世間一般と違うことを言いたがるのは、「オレは他とは違う、そこらへんの奴らとは違うんだ!」というアピールに他ならない。裏を返せば、「正攻法で勝てないから奇襲法でなんとかできないか」と、もがいてるだけ。要するに実力不足なのである。そもそもジャズなんか聴こうなんて奴は概ねそんなはぐれ者ばかりだ(偏見)。
還暦を目の前にした今の今まで自動車免許を取らなかったのも、きっと正攻法で勝てないコンプレックスがあったんだと正直に白状しよう。
さて、ついに教習所の卒業検定の日がやってきた!教習生活に約半年もの歳月を費やしてきたが、いよいよ決戦のとき、検定は火曜と土曜にしか行われないため火曜の今日は休みをとった。
ちなみに第一段階の修了検定も半日休みを取ったのだが、午後JimmyJazzへ散髪に来た何人もの顧客に「午前中なんで休んでたの?」と聞かれて、「ちょっと免許の書き換えに」と言ってお茶を濁した。書き換わるだからあながち嘘ではない(^^;
本日検定を受ける教習生はMT2名とAT3名の合わせて5名。2台に分かれて受験する。事前にくじ引きで、縦列駐車、方向変換右バック、方向変換左バックの三つのうち一つが決められるが、わたしは左バックが当たった。これに限っては路上運転が終わったあと教習所内で審査される。
わたしはもちろんAT3名のグループで、二番目に運転する。一人約20分の道のりだ。
トップバッターはおとなしいポニーテールのお嬢さん。方向確認の動きから几帳面な性格が見て取れる。最初の100メートルは慣らし運転区間で失敗してもノーカウントだが、100メートルを超え、次の信号を左折しようというとき
「あかん!危ない!」教官の急ブレーキがかかった!
緊張からだろうか、なんと赤信号で交差点に侵入してしまったのだ。
ご存知のとおり、教官に補助ブレーキを踏まれてまうと即検定失格である。かわいそうにポニーテール嬢はこのあと約20分ほどの検定コースを失格と知りながら運転することになる。
初っ端からどんよりとしたムードが車内に充満していた。
(つづく)
半人前ブルース
何事も初心者のうちが一番楽しいものだ。新しい世界に不安と期待を抱いて進んでいく感覚は、例えばジャズ喫茶に初めて足を踏み入れた時のような、高級オーディオショップのフカフカのカーペットを踏み締めて聴くクラシック音楽のような、あるいはWindows3.1のマイコンピュータとごみ箱しかないグリーンでまっさらのデスクトップが立ち上がった時のような、そんなワクワクをこれから展開するクルマの世界に感じている。きっとドライバーの諸先輩方もそうだったはず。おそらく馴れてしまえばなんてことないのだろうが。
路上の技能教習第二段階は最短19時間、順調に行けば今頃は卒業検定を終えて、あとは門真の試験場へ行くだけという算段だったが、前回のみきわめの縦列駐車でしくじって来週へ持ち越しとなった。
この歳になって人様からジャッジされるのはかなりのプレッシャーで、不合格となればかなりのショックである。数日間どんよりして気分も晴れなかったが、くよくよしてたってしょうがない。YouTube動画で復習しつつ、来週の必勝を願うとしよう。
それにしても教官の教えるスキルによって、その一時間の教習がスムーズにうまくいったり、また要領を得ずギクシャクしたりで、運転の出来不出来が左右されるのは事実である。
教習生の運転技術の何が問題で、どの点を指導すれば理解できるのか、適切な指導をして次段階に導く教官と、不安な生徒をますます萎縮させて不合格の判を捺す教官、ジャッジされてるのは実は教官の方なのだ…。おっと、そうやって自分の至らなさを他人のせいにしてるからわたしは半人前なのだ。反省反省っと。
(つづく)
愛のように大胆に
エクスペリエンスといえば、わたしの葬式には是非ともジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの「Bold As Love」をかけて欲しいとリクエストしておこう。自動車事故で死ぬのはごめんだが、ジミヘンのギターソロで昇天できたらさぞかし気分がいいだろうな。この曲は「愛のように大胆に」という変わったタイトルだが、何かの本で「男性は(恋愛に限ってだけ)ほんの些細なことでもポジティブに変換して考え大胆になるが、女性は(私なんて)とネガティブに捉える傾向がある」と書いてあるのを読んで、なるほど、男性が逃げる女性を追いかける構図はこうして作られるのだなとひどく納得したものだった。
さて、わたしの運転も愛のように大胆であるがゆえ、なかなか第一段階見極めOKのハンコを教官が押してくれない。これぐらい余裕で大丈夫だろうと思っても、教官はなかなか首を縦に振らないものである。教習所内を周る第一段階は(二輪免許ありの場合)最短10時間で仮免試験となるが、すでに2時間超過している。超過3時間目の教習を終え、教官の顔色を窺うと「どうされますか?(仮免検定試験前に)もう少し練習しますか?」と言われた。いやいや、教官どの、練習したらその分(1時間5500円)追加になるんでしょう?もういいです。検定受けさせてください。こうして満面の笑みではなくやむなしの顔で教官は「みきわめ良好」の判を点いたのだった。
いよいよ仮免検定の日がやってきた!いや〜キンチョーする!!プロポーズの時でもこんなに緊張せんかったぞ!検定試験で同じ教習車に乗るのはベトナム人の青年グエン君。先行はグエン君だ。ちなみにベトナム人はグエン姓がやたらと多いらしく、わたしの知り合いのダンサーの女の子もグエンちゃんだ。韓国人のキムさんみたいなもんか。グエン君はきびきびとサイドミラー、目視後方確認をこなし、S字クランクも脱輪などなく成功。次はわたしの番だ。愛のように大胆なわたしは、左折の際にハンドルに力が入りすぎてふらつくとよく注意されてたので、後方確認を慎重にやったつもりだが、やはり後から試験官に指摘された。「落としたいと思ってる試験官はいない」という言葉を信じて発表を待つ。結果は見事合格!グエン君も合格でお互いGOODサインで健闘を称えた。仮免取得だ、ああ嬉しい!これでいよいよ次から路上に出るぞ!
(つづく)
JIMMY JAZZ エクスペリエンス
わたしはあと14年JimmyJazzで頑張るつもりだが、同世代の友人たちの定年退職や転職話がちらほらと聞こえてくる。
「(これまで)36年も家賃払ったなら、店舗付き住宅が買えたな」等と詮ないことを言う人もいる。たしかに金は残らなかったが伝説は残ったからまあいいではないかw
そうそう、このあいだ、チェット・ベイカーの『Plays The Best Of Lerner & Loewe』をかけていたら、ちょうど散髪を終えた常連客の様子がなんだかおかしい。
「えっ?ボリューム上げました??」 「ラッパの音がビンビン来てすごく気持ちいいんですけど?」とかなり驚いてる。
ああ、そういうことか。外気温が急に下がったからこういう音になるんですよ。
当店ではよくあることで、調子の良い時はこのくらいの実力を発揮するのだが、いつもいつもそうではないのが悔しいところである。この方は30年以上毎月散髪に来ていて、10万円もする高級ヘッドホンを使ってるのに、「スピーカー変えたのかと思った!」と言って驚愕してる。いまごろか( ̄▽ ̄;
もともとわたしはそれほど欲張りでないから、ローディーでもダイヤトーンでもアップルのイヤホンでもそこそこ満足してしまう。調子のいい時の音がいつも聞けたら文句はない。それがどう間違ったか、オーディオのグレードを上げればいつも良い音で聴けると思って、とうとうJBLのハイエンドスピーカーを買ってしまった。
それでもいつも調子の良い音は出ず、ダメなときはダメで、調子の良い時だけスゴすぎる音が出るという、およそ散髪のBGMとしてはかなりオーバースペックな状態になってしまっている。たしかに散髪しててこんな音聞かされたらビビるよな。ただ伸びた髪を切るだけでない格別な体験、わたしはこれをJimmyJazzエクスペリエンスと名付けたい(^^;
(つづく)
ドライビングファッション
教習所に行くのは週一度、休日のみと決めている。1日に取れる授業は三時間だから、1時限目9時10分と2時限目10時10分を連続で技能教習を受け、一時間休憩して4時限目12時10分(連続三時間は乗ってはいけない)に乗るのが理想的なパターンだが、教習生が多くてなかなか予約が取れない状況だ。受付でキャンセル待ちの表に名前を記入しておくと、ドタキャンで来ない教習生が出た場合、教習を受けることができるが、キャンセルが出ないと待ちぼうけを食らうこともある。
キャンセル待ちしてる間に、教習所の道路向かいにある2nd Streetで時間を潰してたら、ずっと欲しかったバブアーのビデイルジャケットを発見!サイズぴったりで状態も良いので衝動買いしてしまった。冬場はロングコートを着ることが多かったが、膝丈のコートでは運転しづらいだろう。ハーフ丈のバブアーならドライブにピッタリだ。
服装といえば、教習所に行くときは、たいていジャージとスニーカーである。休日だからリラックスしてるのではない。教習手帳に「動きやすい格好で。スカートやサンダル履きは不可」と書いてあるからだ。さすがにスカートこそ穿かないが、教官に教わる立場であるからきちんとルールを守って好感の持てる服装で教習に臨むのが大人の態度だろう。んっ?もしかすると教習所職員が妙に親切なのは、ジャージ姿の還暦前のオッサンが逆に怖い人に見えてるのかもしれないな(^^;
無事に午前中の教習を終えると、送迎バスには乗らず、多目的トイレでショートパンツに着替えてそのままスーパー銭湯までランニングするのだからますます怖い。京阪神のこの辺りは天然温泉が多く、教習所から周囲5キロ前後の距離に5ヶ所もスーパー銭湯がある。そこで遅めの昼食を摂り、サウナでまったりして夕方電車に乗って帰路に着く。これまでの生活パターンに教習所がくっついただけかもしれない( ̄▽ ̄;
(つづく)
年寄りだからしょうがない?
400ccのオートバイを降りて29年になる。以降全く運転してないから、その間にできたセルフのガソリンスタンドもETCも未体験、何より四輪の知識もゼロに等しい。
刑事ドラマで「犯行に使われた車は黒っぽいセダン」なんてセリフがよく出てくるが、セダンとクーペの違いすらわからない。そんなズブの素人が習おうというのだから大変だ。
還暦が近いということは、現役でバリバリ働いてる人間はほぼ年下ということである。教習所の教官も例に漏れず、(年上かなと思える先生もいるにはいる)高圧的な態度の人に当たって嫌な思いをしたことはない。
女性の事務員さんも親切だし、送迎バスの運転手は乗り降りの際に小雨が降ってくると「ささっ、どうぞこちらへ」と傘を差し出すVIP待遇。
教習所といえば、昔の「暗くて薄汚ない校舎に横柄な態度の教官にブレーキを踏まれる」みたいなイメージだったが、今では施設も明るくキレイで感じのいい人ばかり。
嫌なことといったら、技能教習の単位を落として自分の運動神経の無さにガックリすることくらいか(二輪免許があるので学科は免除)。
現時点ですでに技能4時間の超過料金が発生しているが、料金云々よりも、できないことに対して「年寄りだからしょうがない」と思われるのが悔しい。年取ってるからどんくさいんじゃないぞ!わたしは元からどんくさいのだ!!( ̄▽ ̄;
(つづく)
ペーペードライバー
社会人として半人前のペーペー、「まだまだ一人前とは言えない、修行が足りてない、頼りない兄ちゃん」、30年前から全く変わってない自己認識だ。ぼちぼち同年代の人たちから定年退職や老後の話を聞くにつれ、いやちょっと待て、半人前のまま還暦を迎えるのは人としてどうなんだ?と焦りが出てきた。必要ないといえばそれまでだが、普通免許を持ってないというのも半人前的といえば半人前的である。
さて、皆さんにとっては免許を取るなんて珍しくもなんともないのだろうが、還暦目前で半人前のオッサンが、いま教習所に行くとどうなのか。
教習所に着いた。まず入所時に決めなくてはいけないのが料金体系。ミッション車かオートマ限定か。料金的にはたった7150円の違いなので、今思えばミッションにしとけばよかった気もするが、ミッション免許にしたら絶対にややこしいミッション車が欲しくなるという自覚があったので、あえてオートマ限定とした。後々ミッション車を買ってしまうとオートマ免許の家族全員が運転できないからだ。
前もって数万円払っておけば技能時間が伸びても追加料金のかからない「安心パック」という制度もあるようだが、なぜだかわたしが申し込む際には全く説明がなくスルーされた。「40歳~:ご相談ください」と書いてあるのに。まあおそらく勧められても入らなかったと思う。
写真撮影と視力検査を終えると、
「ちょっとその場で屈伸してみて下さい」と若い女性の事務員さん。
屈伸??なんだなんだやぶから棒に?ははあ、年寄りだからひっくり返るかどうか見るのだな?クイクイっと。これでもおととしは富士山に登頂したんだぞ!と口には出さないが、老人扱いされて少しショックである。
朝から夕方までしか教習車に乗れないデイタイムプランと夕方以降も乗れるフリープラン、これもたった7150円の違いであるが、週一回、休日の午前中に行くためデイタイムプランを選んだ。急いで免許を手に入れるのが目的ではない。「習い事」感覚で先生に教わり、教習所通いを楽しむことが大事なのだから。
(つづく)
いい日旅立ち
2023年10月にはシンガーソングライターの谷村新司が亡くなった。享年74歳。少年時代、同氏がパーソナリティを務める深夜ラジオ「MBSヤングタウン」を聴いて、ちっとも勉強しなかったわたしだったが、あんなふうに歳を取りたいと思える数少ないお手本の一人だった。
テレビの追悼番組で、氏が69歳で教習所に通って自動車免許を取得したと知った。確かに彼はクルマよりバスや列車の旅が似合う作風だったが(一旦取得したが’70年のアメリカツアー中に失効)、そういうことだったのか。
69ともなればそろそろ免許返納を考える歳なのに、それより10年若いわたしがやってできないはずはない!
実際、還暦を目の前に控え免許を取ると言ったら家族全員が呆れていたが、「谷村新司は69で免許を取った!」と言ってなんとかうまく丸め込んだ。
無謀な挑戦にビビりつつ、自らを鼓舞するために図書館で谷村新司の著書『本当の旅は二度目の旅』を借りて読んでいたら、最後のページに興味深いくだりがあった。
“——— ぼくは七〇、八〇になっても、おそらく自分なりの歩幅で走っているでしょう。そしてピンクのシャツを着ているジイさんになってるんじゃないかと思う。ピンクのシャツを着て、スニーカーを履いているジイさんかな、みたいな気がします。で、きれいなオープンカーのスポーツカーに乗って、真っ黒に日焼けして走っていたい。七〇くらいになっても女の子にチョッカイを出しているおじいさんでいたいのです。———”
ちなみにこの本は1993年10月発行、ということは谷村44歳ごろの著作なので、当然のこと書いたのは免許失効中である。
74歳で逝った谷村の、きれいなスポーツカーに乗り女の子にチョッカイを出す夢は叶ったのだろうか。
遅ればせながら、わたしもその夢継いでみたい。ピンクのシャツを買って、いい日旅立ち、なのである。
(つづく)
車が無くて男と言えるか
半ば発作的に教習所通いを決めたように見えるが、これまでの伏線と思しきものが積み重なってきて、表面張力を破り一気に溢れ出したのかもしれん。
1986年公開の映画「クロスロード」を観たことあるだろうか。ラルフマッチオ演じる少年が、ブルースの始祖ロバートジョンソンの残した幻の曲を探すというロードムービーだ。
幻のその曲を知るブルースマンのフルトンは老人ホームに収容されていて、電動車椅子で施設内を移動する。
「歩けることがバレたら車(椅子)は没収だ!車が無くて男と言えるか!?」
「おまえ、車はあるか」主人公ユージーンが首を横に振ると
「まだ男じゃない」
今はNetflixでも観れるこの映画を、ロードショー時に和歌山市までオートバイを駆って観に行った。注目度が低く、大阪では上映が無かったのである。
あれから40年近い歳月が過ぎた。「ブルースマンの締めるストリングタイ」は手に入れたが、わたしは未だ「大人の男」になれていない。
(つづく)
還暦間近だ免許を取るぞ
新シリーズ始まりますw
いくら好きでも、休みのたびにディスクユニオンでジャズCD漁りもいただけない。一回も聴いてないCDだってどんどん溜まっているのだ。
オーディオは気が済むところまでやったし、あまり上手くならなかったがリンディーホップも7年やった。近隣のスーパー銭湯も行き尽くしたし、いっそ新しい何か習い事でも始めようか。そうだ、どうせなら教習所へ行って車の免許を取ってみようか!?
中型二輪の免許証はあるが、欲しいと思う四輪がなかったし、交通の便がいい所に住んでいることもあり、これまで免許を取ろうなんて考えたこともなかった。
将来は偉くなって運転手つきの車に乗ってるはずだったし、自分で運転するなら、ギャングが機関銃ぶっ放しながら走ってるようなステップ付きのクラシックカー、”チキチキマシン猛レース”みたいなのがいいな、なんてふざけたことを思っていたのだ。
その次の週、エントランスに”チキチキマシン猛レース”みたいな車が展示してある杭瀬自動車教習所の送迎バスの中の人となった。毎度思いつきで行動してるみたいで恐縮です。だけど、ほんの1週間前までまるで興味なかった方向に急ハンドルを切った自分にも驚いている(^^;
偉い人たちに「人生は計画を立てることが大事」と散々聞かされてきたが、60年近く生きてきて計画通りになったことなんて一つもなかった。思いもよらない方向に、思ってもない展開が用意されて、どうなれば幸せなのかと迷いつつ行き当たりばったり、運命に翻弄され続ける我が人生であった。
少年時代から将来の計画をノートに綴り夢を勝ち得た大リーガー大谷翔平のようにはいかないものだが、わたしももう59歳、還暦間近だ、免許を取るぞ!
(つづく)
50周年を目指して
JimmyJazzは50周年まで営業を続けることを目標にしている。50年やったあとどうなるか、誰か跡を継いでやるのかは未定であるが、もし息子がやるにしても彼なりに考えた自分のコンセプトでやるほうがいいのではないか。
兎に角、50年まであと14年ほどである。先日、サインポールの蛍光灯が点かなくなったのでクラシックな壁掛けのものを新調した。初代サインポールから数えてこれで4台目。ただ光って回るだけの看板だが、何十年も回し続けてると、生産メーカーじたいが消滅して修理できなくなったりするのである。
サインポールに続き、現用のボイラーも生産終了となったため、昨日入れ替え工事を行った。こちらは3代目で、10数年使ってた初代が壊れて水浸しになったので慌てて交換したが、急がせたせいか工事が適当で、錆止めも効いておらず、本体もかなりボロボロになっていた。またまた水浸しは怖いので、かなり思い切って新調したのだった。
サインポールとボイラー、あと14年壊れず頑張って動いてくれることを祈ろう。もちろん自分の身体もだ。
品のないひと
品が無い人とは思われたくないものだな、と思う。いや、若いうちはいいんですよ。若い人や子供で品が無いのは、経験が浅いからある意味しかたない。でも、若い自分に品がないことを、恥ずかしいと思わないようではいけない。開き直ってないで、品性を身につけるよう精進しなくてはいけない。尤も、いい歳した老人で品が無いのは目も当てられない。
では、「品が無い」というのはどういうことかというと、「自分が払った対価以上の報酬を求める性質」と言っていいだろう。ビジネスにおいては、原価に利益を上乗せしないと成り立たない部分もあるけれど、やたらふっかけたり、逆に値切ったりというのは、違法でないもののその「がめつさ」に品が無いな〜と思っちゃうのである。
あるコンサートに行ったとする。当然入場チケット料は払うけど、ステージからミュージシャンがタオルとかギターのピックとか投げてくれないかなぁ〜なんて思ったことあるよね?あるいは野球観戦ならホームランボール持って帰りたいとか。あわよくば控え室に訪ねて行って、握手してサインしてもらい、一緒に写真撮りたいとか(^^;
そこまでいかなくても、ダイアナ・クラールのコンサート行ったぞ!と会場前で写真撮ってSNSに上げたり、コンサートの感想をブログにアップしてみたり、まあほぼすべてわたしがやってきたことばかり。書いていて顔が真っ赤になるけれど、チケット代金分しっかりコンサート楽しんだら、元は取れたのだからそれでよしとするのが品のある大人の態度ではないか。自分だけ他の客よりちょっとだけ得しようなんて品の無いことは考えないように!
しかしながら、同じコンサートに行った知人が、演者たちと一緒に写真に写ってるのを見ると、本当はうらやましくってしょうがない( ̄▽ ̄;
僕はセンチになったよ
春なのにお別れが多くて感傷的になってしまう。
まず北陸新幹線開通に伴い、サンダーバードの運行が終了してしまった。我が家では、家族旅行といったら北陸で、10回以上サンダーバードを利用していたので、まことに残念でならない。クルマで行く人にはどうってことないだろうが、大阪から芦原温泉、加賀温泉郷に行くのがすごく不便になってしまって悲しい。
次に、来年10月をもって、50cc原付バイクの国内での販売が終了してしまうこと。今から50ccバイクを買うことはないと思うが、かつて原付免許の試験に3回も落ちているわたしとしてはまことに残念でならない。
そして、この三月いっぱいで尼崎のスーパー銭湯”極楽湯”が20年の歴史に幕をおろす。ここも20年前ジョギング始めてからよく通った思い出いっぱいの銭湯で、しばらく足が遠のいていたのが、昨年の健康診断で引っかかってから月一のペースで4キロ弱の距離をまた通い出した。閉店の知らせを聞いてからは名残惜しくて毎週行ってる。次の月曜でついに最後となりそう。
銭湯に付き物の森永瓶入り牛乳も今月いっぱいで生産終了となるらしい。無論コーヒー牛乳もだ。風呂上がりに牛乳飲む習慣はないけれど、最後の極楽湯で飲んでみようかしらん。※極楽湯尼崎店の瓶牛乳は明治乳業でした
その荷物、預かります!
JimmyJazzでは施術の際に、お客様の着ている上着や荷物をお預かりしておく決まりとなっているのだが、ときどき「ここでいいよ」と客待ちの椅子などにぽんと置いてしまう方がいらっしゃるのだ。
そのお客様には、「預かってもらうほどの貴重なものではない」というご謙遜が見えるのだが、いやいや、あなたがよくてもわたしが困る、のである(^^;
理由としては、
「椅子を占有されたら、あとから来た他のお客様が座れない」し、「店内が散らかる」すなわち「内外どちらから見てもダサく見える」。
他に客は居ないんだし、別にいいじゃん!という見方もあるが、今居なくても後から来る場合もあるし、次回混んでる時にそれをやられると、それを見た他のお客様も真似をして、どんどん散らかってムードもへったくれもない店になってしまう。
それに「サウンドが悪くなる(こともある)」から、荷物を預けてくれないのはひじょうに頭の痛い問題で、悪気がないから尚更困ってしまう。
大昔に当店を設計した店舗デザイナーに、お客様が荷物を預けてくれないことを嘆いたら、「それはウチに来たら荷物を預けるのが当たり前だと客を教育しなくてはいけない」と言われ、なるほどなあと思ったものだ。
しかし、一度失敗したことがあって、ある方が例によって(?)バッグを椅子に置いたままにしていたものだから、預かろうと持ち上げたら中のタブレットが落下してしまったのだ。
お客様には許していただいたが、冷や汗をかいた事件であった。それ以来、あまり強くは言えないのだけれども。。。
たかが預かる預からないの問題で、色々あるので、みなさん散髪のときは荷物と上着は預かってもらってください( ̄▽ ̄;
ジャズとはコール&レスポンスである
年内は12月31日(日)正午まで、新年は1月5日(金)より営業します。2023年もご愛顧ありがとうございました。心より感謝申し上げます。
先日、神戸のジャズコンサートに行ってきた。演目がマイルス・デイヴィスの『クールの誕生』からというのでちょっと興味をそそられたのだ。
演奏は素晴らしく楽しめたが、一緒に聴いていたいつものダンス仲間たちは皆退屈そうだった。毎日ジャズで踊ってるからといって、どんなジャズでも理解できるわけではないようだ(^^;
さて、「ジャズって何なの?」という問いかけに、「ジャズとはコール&レスポンスである」と答えてみたい。
「こんなの知ってる?」という問いかけに「知ってる知ってる!これこれ」と返すと「おっ?知ってるねえ」とコミュニケーションが生まれる。
「カーボンダイヤトニック知ってる?」と聞いて、「あったねえレゾナンスチップ!」とか返されたら、初対面でもなんだか旧知の友のように嬉しくなってしまうのとおんなじだ( ̄▽ ̄;
「ジャズは即興」とはいえ、ちゃんと元ネタがあって、瞬時にその組み合わせで体裁を調えるという意味での即興なのである。
元となるフレーズの断片はちゃんと出来上がっていてそれをパズルのピースのように当てはめる、ちょうどTVゲームの「テトリス」によく似てる。
例えばよく出てくるのがコールマン・ホーキンスの書いた「Boff Boff」という曲、このメロディを誰かが奏でたら、トントンと合いの手を入れる。これはもう決まり事であって、トントンと返せないジャズマンはイモ扱いされる。「かわいいベイビー♪」ときたら「ハイハイ」と返すみたいなものなんだ。お分かりかw
ジャズの真髄に迫る
11月8日はJimmyJazz創業35周年。長年ご愛顧いただきありがとうございます。
新聞に「JAZZの聴ける理容室、来年25周年」と書かれてからもう10年以上経つのだから恐ろしいものである。
35年もジャズばっかりかけてるのだから、ジャズの造詣が深いかというとそんなことはない。ジャズを演奏するミュージシャンが理解してるのは当然だから除外するにしても、わたしなんかよりよっぽど深いところでジャズを理解してるなぁと思う人がたくさんいらっしゃる。
ひとつにいい音でジャズを聴いている人たち。しっかり音が聞こえるのだから理解が深まるのは当然である。これについては30年以上オーディオでいい音を追求して、ようやく「音が悪いからジャズをわかってない」とは言われないだろうと思えるところまでは来たつもりである(^^;
もうひとつには、俗にリンディーホップと呼ばれるジャズで踊るダンサーたち。これは意外な盲点であった。オーディオマニアが痺れる音色やハーモニーを楽しむのに対し、ダンサーはリズムの捉え方に秀でている。
4分の4拍子、フォービートのリズムを6カウントと呼ばれる6つで区切って、少しずつずらしていくやり方や、シンコペーションなど、普通にジャズ聞いてるだけなら気付かないであろうリズムの捉え方をするのだ、それも20代くらいのダンサーが!
ジャズ愛好家の人も読んでくれてると思うが、「シュバドゥビドゥ」とか言いながらジャズ聴いたりします??普通せんでしょう?( ̄▽ ̄;
このリズムのとり方にジャズの真髄へ近づく道があると感じて、リンディーホップの門を叩いたのが5年前、年甲斐もなくドタバタと恥を晒しながら、ますますジャズの奥深さに感銘を受けている。
いつかフレッド・アステアのように華麗に踊ってやるからな!!w