秘すれば花
久しぶりにニコラス・ケイジの映画を観たら、主人公なのにほとんど喋らないので驚いた。さすがである。
600年前「秘すれば花」と世阿弥はいった。映画においていちばんダメなのは、心情とか状況をセリフで説明しちゃうことなんである。映画にかぎらず、あらゆる芸術表現は、全てをつまびらかにして正確に伝えることではなく、相手に「感じさせる」「想像させる」ことが最も重要なのだ。
音楽鑑賞あるいはオーディオが、画のない不完全な形態にもかかわらずホームシアター等とまた違った、独立した高次元ポジションを得ているのも、リスナーに想像させ、世界観を感じさせるに最適な形態だからだろう。
わたしが10代のころは、アメリカ村のフィフティーズ風ブティックがお気に入りで、ロックンロールのBGMとピンクに塗られたベニヤ板の壁の向こうに「アメリカン・グラフィティ」の世界が広がっている気がしてワクワクしたものだった。
ベニヤ板を蹴破っても心斎橋の風景しか広がってないのだが、そんなふうに臨在する世界を想像させることこそブランディングなのだ。
インターネットの普及によって、何でもかんでもググれば分かるようになったから、今後は逆にググっても出てこない情報のほうが貴重になってくるだろう。
JimmyJazzも「知る人ぞ知る」とか「伝説の」と噂されるには、これまでのようにジャンジャン発信する姿勢は慎んだほうがいいのかも?(^^;