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 JIMMY JAZZ エクスペリエンス

 わたしはあと14年JimmyJazzで頑張るつもりだが、同世代の友人たちの定年退職や転職話がちらほらと聞こえてくる。

「(これまで)36年も家賃払ったなら、店舗付き住宅が買えたな」等と詮ないことを言う人もいる。たしかに金は残らなかったが伝説は残ったからまあいいではないかw

 そうそう、このあいだ、チェット・ベイカーの『Plays The Best Of Lerner & Loewe』をかけていたら、ちょうど散髪を終えた常連客の様子がなんだかおかしい。

「えっ?ボリューム上げました??」 「ラッパの音がビンビン来てすごく気持ちいいんですけど?」とかなり驚いてる。

 ああ、そういうことか。外気温が急に下がったからこういう音になるんですよ。

 当店ではよくあることで、調子の良い時はこのくらいの実力を発揮するのだが、いつもいつもそうではないのが悔しいところである。この方は30年以上毎月散髪に来ていて、10万円もする高級ヘッドホンを使ってるのに、「スピーカー変えたのかと思った!」と言って驚愕してる。いまごろか( ̄▽ ̄;

 もともとわたしはそれほど欲張りでないから、ローディーでもダイヤトーンでもアップルのイヤホンでもそこそこ満足してしまう。調子のいい時の音がいつも聞けたら文句はない。それがどう間違ったか、オーディオのグレードを上げればいつも良い音で聴けると思って、とうとうJBLのハイエンドスピーカーを買ってしまった。

 それでもいつも調子の良い音は出ず、ダメなときはダメで、調子の良い時だけスゴすぎる音が出るという、およそ散髪のBGMとしてはかなりオーバースペックな状態になってしまっている。たしかに散髪しててこんな音聞かされたらビビるよな。ただ伸びた髪を切るだけでない格別な体験、わたしはこれをJimmyJazzエクスペリエンスと名付けたい(^^;

(つづく)

ドライビングファッション

 教習所に行くのは週一度、休日のみと決めている。1日に取れる授業は三時間だから、1時限目9時10分と2時限目10時10分を連続で技能教習を受け、一時間休憩して4時限目12時10分(連続三時間は乗ってはいけない)に乗るのが理想的なパターンだが、教習生が多くてなかなか予約が取れない状況だ。受付でキャンセル待ちの表に名前を記入しておくと、ドタキャンで来ない教習生が出た場合、教習を受けることができるが、キャンセルが出ないと待ちぼうけを食らうこともある。

 キャンセル待ちしてる間に、教習所の道路向かいにある2nd Streetで時間を潰してたら、ずっと欲しかったバブアーのビデイルジャケットを発見!サイズぴったりで状態も良いので衝動買いしてしまった。冬場はロングコートを着ることが多かったが、膝丈のコートでは運転しづらいだろう。ハーフ丈のバブアーならドライブにピッタリだ。

 服装といえば、教習所に行くときは、たいていジャージとスニーカーである。休日だからリラックスしてるのではない。教習手帳に「動きやすい格好で。スカートやサンダル履きは不可」と書いてあるからだ。さすがにスカートこそ穿かないが、教官に教わる立場であるからきちんとルールを守って好感の持てる服装で教習に臨むのが大人の態度だろう。んっ?もしかすると教習所職員が妙に親切なのは、ジャージ姿の還暦前のオッサンが逆に怖い人に見えてるのかもしれないな(^^;

 無事に午前中の教習を終えると、送迎バスには乗らず、多目的トイレでショートパンツに着替えてそのままスーパー銭湯までランニングするのだからますます怖い。京阪神のこの辺りは天然温泉が多く、教習所から周囲5キロ前後の距離に5ヶ所もスーパー銭湯がある。そこで遅めの昼食を摂り、サウナでまったりして夕方電車に乗って帰路に着く。これまでの生活パターンに教習所がくっついただけかもしれない( ̄▽ ̄;

(つづく)

年寄りだからしょうがない?

 400ccのオートバイを降りて29年になる。以降全く運転してないから、その間にできたセルフのガソリンスタンドもETCも未体験、何より四輪の知識もゼロに等しい。

 刑事ドラマで「犯行に使われた車は黒っぽいセダン」なんてセリフがよく出てくるが、セダンとクーペの違いすらわからない。そんなズブの素人が習おうというのだから大変だ。

 還暦が近いということは、現役でバリバリ働いてる人間はほぼ年下ということである。教習所の教官も例に漏れず、(年上かなと思える先生もいるにはいる)高圧的な態度の人に当たって嫌な思いをしたことはない。

 女性の事務員さんも親切だし、送迎バスの運転手は乗り降りの際に小雨が降ってくると「ささっ、どうぞこちらへ」と傘を差し出すVIP待遇。

 教習所といえば、昔の「暗くて薄汚ない校舎に横柄な態度の教官にブレーキを踏まれる」みたいなイメージだったが、今では施設も明るくキレイで感じのいい人ばかり。

 嫌なことといったら、技能教習の単位を落として自分の運動神経の無さにガックリすることくらいか(二輪免許があるので学科は免除)。

 現時点ですでに技能4時間の超過料金が発生しているが、料金云々よりも、できないことに対して「年寄りだからしょうがない」と思われるのが悔しい。年取ってるからどんくさいんじゃないぞ!わたしは元からどんくさいのだ!!( ̄▽ ̄;

(つづく)

ペーペードライバー

 社会人として半人前のペーペー、「まだまだ一人前とは言えない、修行が足りてない、頼りない兄ちゃん」、30年前から全く変わってない自己認識だ。ぼちぼち同年代の人たちから定年退職や老後の話を聞くにつれ、いやちょっと待て、半人前のまま還暦を迎えるのは人としてどうなんだ?と焦りが出てきた。必要ないといえばそれまでだが、普通免許を持ってないというのも半人前的といえば半人前的である。

 さて、皆さんにとっては免許を取るなんて珍しくもなんともないのだろうが、還暦目前で半人前のオッサンが、いま教習所に行くとどうなのか。

 教習所に着いた。まず入所時に決めなくてはいけないのが料金体系。ミッション車かオートマ限定か。料金的にはたった7150円の違いなので、今思えばミッションにしとけばよかった気もするが、ミッション免許にしたら絶対にややこしいミッション車が欲しくなるという自覚があったので、あえてオートマ限定とした。後々ミッション車を買ってしまうとオートマ免許の家族全員が運転できないからだ。

 前もって数万円払っておけば技能時間が伸びても追加料金のかからない「安心パック」という制度もあるようだが、なぜだかわたしが申し込む際には全く説明がなくスルーされた。「40歳~:ご相談ください」と書いてあるのに。まあおそらく勧められても入らなかったと思う。

 写真撮影と視力検査を終えると、

「ちょっとその場で屈伸してみて下さい」と若い女性の事務員さん。

 屈伸??なんだなんだやぶから棒に?ははあ、年寄りだからひっくり返るかどうか見るのだな?クイクイっと。これでもおととしは富士山に登頂したんだぞ!と口には出さないが、老人扱いされて少しショックである。

 朝から夕方までしか教習車に乗れないデイタイムプランと夕方以降も乗れるフリープラン、これもたった7150円の違いであるが、週一回、休日の午前中に行くためデイタイムプランを選んだ。急いで免許を手に入れるのが目的ではない。「習い事」感覚で先生に教わり、教習所通いを楽しむことが大事なのだから。

(つづく)

いい日旅立ち

 2023年10月にはシンガーソングライターの谷村新司が亡くなった。享年74歳。少年時代、同氏がパーソナリティを務める深夜ラジオ「MBSヤングタウン」を聴いて、ちっとも勉強しなかったわたしだったが、あんなふうに歳を取りたいと思える数少ないお手本の一人だった。

 テレビの追悼番組で、氏が69歳で教習所に通って自動車免許を取得したと知った。確かに彼はクルマよりバスや列車の旅が似合う作風だったが(一旦取得したが’70年のアメリカツアー中に失効)、そういうことだったのか。

 69ともなればそろそろ免許返納を考える歳なのに、それより10年若いわたしがやってできないはずはない!

 実際、還暦を目の前に控え免許を取ると言ったら家族全員が呆れていたが、「谷村新司は69で免許を取った!」と言ってなんとかうまく丸め込んだ。

 無謀な挑戦にビビりつつ、自らを鼓舞するために図書館で谷村新司の著書『本当の旅は二度目の旅』を借りて読んでいたら、最後のページに興味深いくだりがあった。

“——— ぼくは七〇、八〇になっても、おそらく自分なりの歩幅で走っているでしょう。そしてピンクのシャツを着ているジイさんになってるんじゃないかと思う。ピンクのシャツを着て、スニーカーを履いているジイさんかな、みたいな気がします。で、きれいなオープンカーのスポーツカーに乗って、真っ黒に日焼けして走っていたい。七〇くらいになっても女の子にチョッカイを出しているおじいさんでいたいのです。———”

 ちなみにこの本は1993年10月発行、ということは谷村44歳ごろの著作なので、当然のこと書いたのは免許失効中である。

 74歳で逝った谷村の、きれいなスポーツカーに乗り女の子にチョッカイを出す夢は叶ったのだろうか。

 遅ればせながら、わたしもその夢継いでみたい。ピンクのシャツを買って、いい日旅立ち、なのである。

(つづく)

車が無くて男と言えるか

 半ば発作的に教習所通いを決めたように見えるが、これまでの伏線と思しきものが積み重なってきて、表面張力を破り一気に溢れ出したのかもしれん。

 1986年公開の映画「クロスロード」を観たことあるだろうか。ラルフマッチオ演じる少年が、ブルースの始祖ロバートジョンソンの残した幻の曲を探すというロードムービーだ。

 幻のその曲を知るブルースマンのフルトンは老人ホームに収容されていて、電動車椅子で施設内を移動する。

「歩けることがバレたら車(椅子)は没収だ!車が無くて男と言えるか!?」

「おまえ、車はあるか」主人公ユージーンが首を横に振ると

「まだ男じゃない」

 今はNetflixでも観れるこの映画を、ロードショー時に和歌山市までオートバイを駆って観に行った。注目度が低く、大阪では上映が無かったのである。

 あれから40年近い歳月が過ぎた。「ブルースマンの締めるストリングタイ」は手に入れたが、わたしは未だ「大人の男」になれていない。

(つづく)

還暦間近だ免許を取るぞ

 新シリーズ始まりますw

 いくら好きでも、休みのたびにディスクユニオンでジャズCD漁りもいただけない。一回も聴いてないCDだってどんどん溜まっているのだ。

 オーディオは気が済むところまでやったし、あまり上手くならなかったがリンディーホップも7年やった。近隣のスーパー銭湯も行き尽くしたし、いっそ新しい何か習い事でも始めようか。そうだ、どうせなら教習所へ行って車の免許を取ってみようか!?

 中型二輪の免許証はあるが、欲しいと思う四輪がなかったし、交通の便がいい所に住んでいることもあり、これまで免許を取ろうなんて考えたこともなかった。

 将来は偉くなって運転手つきの車に乗ってるはずだったし、自分で運転するなら、ギャングが機関銃ぶっ放しながら走ってるようなステップ付きのクラシックカー、”チキチキマシン猛レース”みたいなのがいいな、なんてふざけたことを思っていたのだ。

 その次の週、エントランスに”チキチキマシン猛レース”みたいな車が展示してある杭瀬自動車教習所の送迎バスの中の人となった。毎度思いつきで行動してるみたいで恐縮です。だけど、ほんの1週間前までまるで興味なかった方向に急ハンドルを切った自分にも驚いている(^^;

 偉い人たちに「人生は計画を立てることが大事」と散々聞かされてきたが、60年近く生きてきて計画通りになったことなんて一つもなかった。思いもよらない方向に、思ってもない展開が用意されて、どうなれば幸せなのかと迷いつつ行き当たりばったり、運命に翻弄され続ける我が人生であった。

 少年時代から将来の計画をノートに綴り夢を勝ち得た大リーガー大谷翔平のようにはいかないものだが、わたしももう59歳、還暦間近だ、免許を取るぞ!

(つづく)

50周年を目指して

 JimmyJazzは50周年まで営業を続けることを目標にしている。50年やったあとどうなるか、誰か跡を継いでやるのかは未定であるが、もし息子がやるにしても彼なりに考えた自分のコンセプトでやるほうがいいのではないか。

 兎に角、50年まであと14年ほどである。先日、サインポールの蛍光灯が点かなくなったのでクラシックな壁掛けのものを新調した。初代サインポールから数えてこれで4台目。ただ光って回るだけの看板だが、何十年も回し続けてると、生産メーカーじたいが消滅して修理できなくなったりするのである。

 サインポールに続き、現用のボイラーも生産終了となったため、昨日入れ替え工事を行った。こちらは3代目で、10数年使ってた初代が壊れて水浸しになったので慌てて交換したが、急がせたせいか工事が適当で、錆止めも効いておらず、本体もかなりボロボロになっていた。またまた水浸しは怖いので、かなり思い切って新調したのだった。

 サインポールとボイラー、あと14年壊れず頑張って動いてくれることを祈ろう。もちろん自分の身体もだ。

品のないひと

 品が無い人とは思われたくないものだな、と思う。いや、若いうちはいいんですよ。若い人や子供で品が無いのは、経験が浅いからある意味しかたない。でも、若い自分に品がないことを、恥ずかしいと思わないようではいけない。開き直ってないで、品性を身につけるよう精進しなくてはいけない。尤も、いい歳した老人で品が無いのは目も当てられない。

 では、「品が無い」というのはどういうことかというと、「自分が払った対価以上の報酬を求める性質」と言っていいだろう。ビジネスにおいては、原価に利益を上乗せしないと成り立たない部分もあるけれど、やたらふっかけたり、逆に値切ったりというのは、違法でないもののその「がめつさ」に品が無いな〜と思っちゃうのである。

 あるコンサートに行ったとする。当然入場チケット料は払うけど、ステージからミュージシャンがタオルとかギターのピックとか投げてくれないかなぁ〜なんて思ったことあるよね?あるいは野球観戦ならホームランボール持って帰りたいとか。あわよくば控え室に訪ねて行って、握手してサインしてもらい、一緒に写真撮りたいとか(^^;

 そこまでいかなくても、ダイアナ・クラールのコンサート行ったぞ!と会場前で写真撮ってSNSに上げたり、コンサートの感想をブログにアップしてみたり、まあほぼすべてわたしがやってきたことばかり。書いていて顔が真っ赤になるけれど、チケット代金分しっかりコンサート楽しんだら、元は取れたのだからそれでよしとするのが品のある大人の態度ではないか。自分だけ他の客よりちょっとだけ得しようなんて品の無いことは考えないように!

 しかしながら、同じコンサートに行った知人が、演者たちと一緒に写真に写ってるのを見ると、本当はうらやましくってしょうがない( ̄▽ ̄;

僕はセンチになったよ

 春なのにお別れが多くて感傷的になってしまう。

 まず北陸新幹線開通に伴い、サンダーバードの運行が終了してしまった。我が家では、家族旅行といったら北陸で、10回以上サンダーバードを利用していたので、まことに残念でならない。クルマで行く人にはどうってことないだろうが、大阪から芦原温泉、加賀温泉郷に行くのがすごく不便になってしまって悲しい。

 次に、来年10月をもって、50cc原付バイクの国内での販売が終了してしまうこと。今から50ccバイクを買うことはないと思うが、かつて原付免許の試験に3回も落ちているわたしとしてはまことに残念でならない。

 そして、この三月いっぱいで尼崎のスーパー銭湯”極楽湯”が20年の歴史に幕をおろす。ここも20年前ジョギング始めてからよく通った思い出いっぱいの銭湯で、しばらく足が遠のいていたのが、昨年の健康診断で引っかかってから月一のペースで4キロ弱の距離をまた通い出した。閉店の知らせを聞いてからは名残惜しくて毎週行ってる。次の月曜でついに最後となりそう。

 銭湯に付き物の森永瓶入り牛乳も今月いっぱいで生産終了となるらしい。無論コーヒー牛乳もだ。風呂上がりに牛乳飲む習慣はないけれど、最後の極楽湯で飲んでみようかしらん。※極楽湯尼崎店の瓶牛乳は明治乳業でした

その荷物、預かります!

 JimmyJazzでは施術の際に、お客様の着ている上着や荷物をお預かりしておく決まりとなっているのだが、ときどき「ここでいいよ」と客待ちの椅子などにぽんと置いてしまう方がいらっしゃるのだ。

 そのお客様には、「預かってもらうほどの貴重なものではない」というご謙遜が見えるのだが、いやいや、あなたがよくてもわたしが困る、のである(^^;

 理由としては、

「椅子を占有されたら、あとから来た他のお客様が座れない」し、「店内が散らかる」すなわち「内外どちらから見てもダサく見える」。

 他に客は居ないんだし、別にいいじゃん!という見方もあるが、今居なくても後から来る場合もあるし、次回混んでる時にそれをやられると、それを見た他のお客様も真似をして、どんどん散らかってムードもへったくれもない店になってしまう。

 それに「サウンドが悪くなる(こともある)」から、荷物を預けてくれないのはひじょうに頭の痛い問題で、悪気がないから尚更困ってしまう。

 大昔に当店を設計した店舗デザイナーに、お客様が荷物を預けてくれないことを嘆いたら、「それはウチに来たら荷物を預けるのが当たり前だと客を教育しなくてはいけない」と言われ、なるほどなあと思ったものだ。

 しかし、一度失敗したことがあって、ある方が例によって(?)バッグを椅子に置いたままにしていたものだから、預かろうと持ち上げたら中のタブレットが落下してしまったのだ。

 お客様には許していただいたが、冷や汗をかいた事件であった。それ以来、あまり強くは言えないのだけれども。。。

 たかが預かる預からないの問題で、色々あるので、みなさん散髪のときは荷物と上着は預かってもらってください( ̄▽ ̄;

ジャズとはコール&レスポンスである

 年内は12月31日(日)正午まで、新年は1月5日(金)より営業します。2023年もご愛顧ありがとうございました。心より感謝申し上げます。

 先日、神戸のジャズコンサートに行ってきた。演目がマイルス・デイヴィスの『クールの誕生』からというのでちょっと興味をそそられたのだ。

 演奏は素晴らしく楽しめたが、一緒に聴いていたいつものダンス仲間たちは皆退屈そうだった。毎日ジャズで踊ってるからといって、どんなジャズでも理解できるわけではないようだ(^^;

 さて、「ジャズって何なの?」という問いかけに、「ジャズとはコール&レスポンスである」と答えてみたい。

「こんなの知ってる?」という問いかけに「知ってる知ってる!これこれ」と返すと「おっ?知ってるねえ」とコミュニケーションが生まれる。

「カーボンダイヤトニック知ってる?」と聞いて、「あったねえレゾナンスチップ!」とか返されたら、初対面でもなんだか旧知の友のように嬉しくなってしまうのとおんなじだ( ̄▽ ̄;

 「ジャズは即興」とはいえ、ちゃんと元ネタがあって、瞬時にその組み合わせで体裁を調えるという意味での即興なのである。

 元となるフレーズの断片はちゃんと出来上がっていてそれをパズルのピースのように当てはめる、ちょうどTVゲームの「テトリス」によく似てる。

  例えばよく出てくるのがコールマン・ホーキンスの書いた「Boff Boff」という曲、このメロディを誰かが奏でたら、トントンと合いの手を入れる。これはもう決まり事であって、トントンと返せないジャズマンはイモ扱いされる。「かわいいベイビー♪」ときたら「ハイハイ」と返すみたいなものなんだ。お分かりかw

ジャズの真髄に迫る

 11月8日はJimmyJazz創業35周年。長年ご愛顧いただきありがとうございます。

 新聞に「JAZZの聴ける理容室、来年25周年」と書かれてからもう10年以上経つのだから恐ろしいものである。

 35年もジャズばっかりかけてるのだから、ジャズの造詣が深いかというとそんなことはない。ジャズを演奏するミュージシャンが理解してるのは当然だから除外するにしても、わたしなんかよりよっぽど深いところでジャズを理解してるなぁと思う人がたくさんいらっしゃる。

 ひとつにいい音でジャズを聴いている人たち。しっかり音が聞こえるのだから理解が深まるのは当然である。これについては30年以上オーディオでいい音を追求して、ようやく「音が悪いからジャズをわかってない」とは言われないだろうと思えるところまでは来たつもりである(^^;

 もうひとつには、俗にリンディーホップと呼ばれるジャズで踊るダンサーたち。これは意外な盲点であった。オーディオマニアが痺れる音色やハーモニーを楽しむのに対し、ダンサーはリズムの捉え方に秀でている。

 4分の4拍子、フォービートのリズムを6カウントと呼ばれる6つで区切って、少しずつずらしていくやり方や、シンコペーションなど、普通にジャズ聞いてるだけなら気付かないであろうリズムの捉え方をするのだ、それも20代くらいのダンサーが!

 ジャズ愛好家の人も読んでくれてると思うが、「シュバドゥビドゥ」とか言いながらジャズ聴いたりします??普通せんでしょう?( ̄▽ ̄;

 このリズムのとり方にジャズの真髄へ近づく道があると感じて、リンディーホップの門を叩いたのが5年前、年甲斐もなくドタバタと恥を晒しながら、ますますジャズの奥深さに感銘を受けている。

 いつかフレッド・アステアのように華麗に踊ってやるからな!!w

10/16(月)~17(火)連休します

10/16~17の二日間お休みをいただきます。

ジャズ一筋35年

 20歳の時にリベラルでなければ情熱が足りない。40歳になっても保守主義者でなければ知能が足りない。

「If you are not a liberal at 20, you have no heart. If you are not a conservative at 40, you have no brain.」

 かのウインストン・チャーチルはこんな名言を残したそうだ。たしかに若い頃と年齢を重ねてからとでは、自分の立ち位置や姿勢を変えなくてはいけないのだと、この頃身に沁みて思う。

 翻って約35年前のわたしは、流行に流され風化していくのを嫌って、「いつまでも古くならない店を作りたい」とJimmyJazzのコンセプトを編み出した。といっても「ジャズはもともとが古い音楽だから、古くなりようがないだろう」と1988年当時に安直に考えてできたものだった。

 それからというもの、ジャズ一筋35年!というと聞こえが良いが、店のほうは何も変わらず、店主は右往左往して迷走を繰り返し、いつの間にか35年も過ぎていたというのが本当のところである(^^;

「頑固一徹、初心を貫く」のも立派なことだと思うが、貫くのはせいぜい20年程度にしたほうがいいんじゃないの、と思う。そうでなければ、ちょっとカッコ悪い。

 わたし自身の自己イメージは、今でも「へなちょこで頼りない半人前の兄ちゃん」なのだが、側から見れば35年もやってるおっさんが何言うとんねん!しっかり責任持って仕事せんかい!ということだ。

 ピーターパンみたく青年のままでいたくても、世間はそうは見てくれない。35年の大ベテランならベテランらしく振る舞わなくては無責任で信用ならない奴と見做される。

 だからといって今さらコンセプトを変更する情熱もなく、知能の足りないわたしは保守的に生き延びるのみである。

 ちなみに冒頭の名言はチャーチルの言葉でないという説もある( ̄▽ ̄;

世界の一流品シリーズ[14] ハミルトンの腕時計カーキフィールド

 ジャズな男がつけるべき腕時計は、やはりクラシックでエレガントなものがよい。古くからのアメリカのブランドだとハミルトン。有名なのはアトミックデザインの三角ケースがカッコいいベンチュラだ。かのエルヴィス・プレスリーも愛用したというが、どちらかといえばジャズというよりロックな印象。

 ハミルトンにはその名もずばりジャズマスターという、ジミージャズマスターがつけるのにぴったりなネーミングのモデルもある。でもジミージャズマスターはこのジャズマスターのデザインがイマイチ好みでない(^^;

 ジミージャズマスターの好きなファッションは、’50年代より’40年代のアメリカ、終戦時の1945年に軸を置いている。ちょうど終戦時のニューヨークを舞台に始まる映画「ニューヨーク・ニューヨーク」、ロバート・デ・ニーロ扮するサックス奏者ジミー・ドイルはアロハシャツにコンビのジャズシューズ、腕時計はというと、どうやら軍で支給されたミリタリーウォッチのようだ。

 ハミルトン社は第二次世界大戦の米軍に納入してたモデルがカーキフィールドで、当時のものにはハミルトンの文字はなく、手巻きでキラキラ光らぬようケースも艶消し、擦れて音のしないカーキ色NATOバンドの仕様だった。

 現行のハミルトンカーキフィールドは、クォーツ、手巻き、自動巻きがあり、ケースサイズも38mmと42mmがある。

 ジャズマスターが選んだカーキ…ややこしい、わたしが選んだカーキフィールドは38mmの自動巻きにステンレスのバンドだが、クリスタルガラスの完成されたデザインで、服装により革バンドに換装すればどこへ行っても恥ずかしくない。そしてなにより安い!( ̄▽ ̄;

 余計な装飾がないぶん、上位モデルのジャズマスターよりもずっと高級感があるように思うのだが。

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はじめての健康診断

 思うところあって、先月、生まれてはじめて健康診断というやつを受診してみたらほら案の定だ。けっこうヤバめな数値が出た。

 昨年同級生が脳梗塞で倒れたときいて、我々もそんな歳になったのかとショックを受けたが、他人事ではない、いつ自分がそうなってもおかしくない状態だったのだ。

 お医者さまからは、「本来すぐに薬を処方するレベルであるが、初回ということもあるので、1ヶ月半様子をみて再検査。その間アイスクリーム禁止、一日三食以外の間食禁止」のお達しが出た。

 これはたいへんなことになった!お酒はなくても我慢できるが、好物のスーパーカップを食べられないなんて!!( ̄▽ ̄;

 と、しばしブルーになってみたが、たいしてうまくもないものを惰性で口に入れてデブデブとふやけているより、これぞ好機と捉えて体質改善してみようじゃないか。

 運動不足解消にスポーツジムはどうだろう。そうだ、20年ぶりにジョギングを再開するか。あの頃は音楽を聴くにもiPod nanoしかなくて、あり合わせの服にあり合わせのリュック、プリントアウトした地図を片手に走っていたが、今ならスマホでジョギング用プレイリストを聴きつつ音声ナビで走れるし、カロリー消費や歩数に走行距離も勝手に計ってくれる。おまけにイヤホンはワイヤレスだ。

 走ってもバタつかないデイバックやウエアなども20年前とは比べられないほど安価で便利なものがいっぱいある。シューズはどうだ?ウエアもカッコいいやつがいいな、などと調べているうちにどんどん元気になっていく自分に気づく。つまり元気が出ないのは身体が悪いのではなく、することがなくてヒマを持て余してただけなのだ(^^;

リッピング音源の謎

 ずっと不思議に思ってることがある。

 いつものようにディスクユニオンでCDをドッチャリ買ってきて、すべてのリッピングを終えると、耳に馴染ませるためだいたい20回を目安にヘビーローテーションで再生する。

 休日を除けば、一日一回かけても20回聴くには1ヶ月くらいかかる計算だが、正直この間、聴いててもあまり楽しくない。内容が頭に入ってこないというか、聴いているようで聴いてないというか。

 それで半年くらい寝かせておいて久しぶりにかけてみたら、おおっ!?とのけぞったりのけぞらなかったり(^^;

 わたしにとって内容が良いのと音が良いのは同義であるが、ハードディスクの中で音源ファイルが音の良い場所にズズズイッと移動してるんじゃないかと思うような新鮮さ。もちろん機器を入れ替えたりしなくてもだ。

 本来、音楽は聴いた瞬間に理解できないと意味がない。ところが我々は何度でも再生できる機械を手にしたため、耳馴染みのない音楽を繰り返し聴いて学習することが可能となった。

 それにしたって、20回聴いてもわからないのが半年寝かせてわかるというのはなんかおかしくないか?(^^;

 思えばCDをそのままかけていた時代はもうちょっと早く良さを発見してたような気がするし、レコード時代は2〜3回も聴けばすっかり理解できたようも気がする。

 生演奏は即座に理解しないといけないから必死で聴くし、Youtubeとかちょっとパソコン内蔵スピーカーで聴くだけでもわりとすんなり理解できる。

 要するにいつでも聴けると思うから根性入れて聴いてないだけなのか?

 半年ぶりにかけた音源でのけぞってるわたしの隣のお客は初めて聴いてのけぞるのかのけぞらないのか、これは永遠の謎である( ̄▽ ̄;

マネキンのジミー君

「Tシャツを売りたいがためにマネキンを買ったんですか?!」

 現在、二本のJBLスピーカーの前を遮るようにJimmyJazzオリジナルTシャツを着せた色黒マネキンのジミー君が設置されている。

 Tシャツを売りたい…というよりもマネキンを置きたいからTシャツを売ってると言うほうが正しい。わたしはそういう奴なのだ(^^;

 こんな邪魔な所にマネキンがあったらさぞかし音に悪かろうと思いきや、迂回するように音の道ができてすこぶる調子がよろしい。

 パラゴンやハーツフィールド、4343の音響レンズといい、JBLのスピーカーは古来より、音波を一旦遮蔽物にぶつけて、その反射音をリスナーに届ける方式を得意としてきた。したがってエベレストの音をジミー君にぶつけてもいいのだ( ̄▽ ̄;

俺たちのインターネット

 わたしがインターネットの世界を知った1998年ごろは、まだグーグルも無かった。gooやYahoo!なんかの検索エンジンで「JBL」と検索してもバスケットボール日本リーグの記事ばかりが出てきて、オーディオのことなんかまるでヒットしなかったものだ。

 JimmyJazzのホームページを作ったのが2000年ごろで、PC用スピーカーのことを好き勝手に書いてたら、物好きなオーディオマニアがわらわらと集まってきて、専門用語が飛び交い、散髪屋なのにオーディオサイトみたいな体裁になっていった。

 あの当時は、「インターネットの怪しげな情報を使えば、安価な機材でもハイエンドオーディオに迫ることができる」といった、インチキくさいワクワク感があって楽しかった。

 今のようにタブレットもスマホも普及してなかったから、ネットに繋がるにはパソコンは必須。それを使いこなせる人だけが発信/閲覧できる特別なコンテンツ。まさに「知る人ぞ知る」というやつ。

 そう、2ちゃんねるに代表されるあの頃のネットユーザーには「俺たちのインターネット」の気風があった。

 それがいつの間にか、誰もがスマホを持ち、抵抗感なくSNSで顔や実名を晒し、ネットを利用するのが当たり前になると、「俺たちのインターネット」は消滅した。

 これからはネットに載ってない情報こそ重要で、「知る人ぞ知る」のは、自らの足を使って得た貴重な体験というふうに変わっていくだろう。

 当店も「行ってみたらスゴかった!」と言われるよう舵を切って行こうと思う。