スタン・ゲッツ(ts) アストラッド・ジルベルト(vo) 『Getz Au Go Go』
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スタン・ゲッツ(ts) アストラッド・ジルベルト(vo) 『Getz Au Go Go』

 「キッチンから聞こえてくるアストルーヂの鼻歌を聴いて、これだ!と思ったクリード・テイラーが強引に彼女をスカウトした」というシンデレラストーリーはじつは真っ赤なウソ。ジョアン・ジルベルトについて来たアストラッドはシンガー志望で、最初から唄うチャンスを虎視眈々と狙っていたのだ。「イパネマの娘」に、どうしても英語の歌詞をつけたいというテイラーの意向にハイと手を挙げたその瞬間、ボサノヴァの女王が誕生した。可愛い顔してわりとやるもんだねえ。本作はグリニッチ・ヴィレッジの「カフェ・オゥ・ゴー・ゴー」でのライブで、ゲッツのカルテットと共演。まるでスタジオ録音のように音が良い。1,000円の限定国内盤あり ★★★★

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 脳死は人の死ではない!ラザロ徴候を知ってるか?!

 ”「脳死は人の死」とするA案、衆院通過…臓器移植法改正”というニュースが飛び込んできたので、あわてて書いている。

 当店には、支払いの際にスタンプを捺すメンバーズカードがあるのだが、お客様がそれを取り出すときに、例の「臓器提供意思表示カード」をお持ちなのがチラと見えることがある。
 「立派な心がけと思いますが、ものすごく痛いぞ」 と、心の中で思う。

 脳が機能しなくなったら、痛みも何も感じないはずだと思うのだろう、唯物論者は。「臓器提供意思表示カード」を携帯する方々も、「どうせ生き返ることのない身体なら、なんぼでも内臓取ってくれたらよろしいわ」くらいの、軽い気持ちで持っているのだと思う。

 実際の脳死状態とは、どういうものか想像してみたことがあるのだろうか?脳の機能が完全停止しているとはいえ、胸は呼吸し、顔には赤みが差し、まるで眠っているようである。
 それに加えて”ラザロ徴候”という動作があることは、あまり公には議論されてないようだ。

 ラザロ徴候(Lazarus sign)
1984年に米国の脳神経学者A・H・ロッパーによって5例が報告された。ラザロ徴候とは脳死の人が呼吸器を外した時に手足を動かすこと。脳死患者が医師の目の前で、突如両手を持ち上げ、胸の前に合わせて祈るような動作をする。動作後は自分で手を元の位置に戻す。同様の現象はその後各国で多数確認され、日本でも医学誌に症例報告がある。動作のビデオも収録されている。ロッパーは「脊髄自動反射」と理解するが、疑問視する声もある。脳死患者を家族に見せないようにすべきとロッパーは書いている。(Wikipediaより引用)

 その状態を家族が見たとして、それでもなおどうぞ心臓を取り出してくださいと言えるだろうか?
 痛みなど感じないという前提であるから、もちろん麻酔などなしで切り刻まれることになる。(覚悟しろ!痛いぞ!!) [※麻酔することもあるようです]

 「コーディネーター」と呼ばれる臓器移植の担当者は、「これで助かる人が居るんです!ご主人の心臓は、その人のなかで生き続けるんです!」とかなんとかいって、家族を説得するのだろう。あな恐ろしや。

 幸福の科学では、人間の死とは、脳死状態でもなければ、心停止のときでもなく、魂と肉体を繋ぐ霊子線(シルバーコード)が切れたときであり、心停止から霊子線が切れるまでは24時間程度といわれている。
 世界的にどの宗教でも、ふつう死んだからってすぐに焼いたり埋めたりはしないものだ。葬儀をして自分が死んだことを悟らせ、霊がスムーズにあの世へ旅立てるよう手引きするものだが、いきなり腹を掻っ捌かれて臓物を取り出されたら、そらたまったもんじゃない。安らかに死ぬ権利だって保障されていいはずだ。

 そこまで知ってて、それでも提供するというなら、そらしゃあない。立派な心がけだと思う。しかし、何度も言うようだが、痛いぞ!!
 もし、わたしの家族の誰かが脳死状態になったとして、「どうか臓器をください」と言われても、それはお断りすると思う。とてもそんな残酷なことはできない。

 でも反対に、自分の子供とか病気で、臓器移植さえすれば助かるということであったら、やはり助けてやりたいと思うのが人情だ。さぞかし悩乱するだろうな。
 しかし、人間遅かれ早かれ、いずれ死ぬ。それに魂は永遠だし、人生は一回きりじゃない。またいつか逢えるチャンスも巡って来るだろう。あきらめではないが、天命に任せることもまた大事なことと思う。

 幸福実現党 嫉妬心を克服して皆が潤う社会を

 このところ、大川隆法総裁の法話が毎日のようにある。総裁が全国の幸福の科学の支部・精舎を巡錫(じゅんしゃく)し、その模様が各支部・拠点に衛星配信される。どれも内容が違うもので、それらをテーマごとにまとめて活字に起こしたら、一冊の本になって出版される。党指針書の「幸福実現党宣言」もわずか三回の法話で構成されているし、最新刊の「政治の理想について 幸福実現党宣言2」も、そうやって編まれた書籍。信者のわたしであっても信じがたいスピードである。むろん内容はうすっぺらなものではなく、かなり濃密で格調高く、かつ面白い。
 おとといも、家内とふたりで法話二回分、みっちり三時間ビデオを観た。観てないのがあとふたつ。もう少しで追いつくかと思ったら、またまた新たに法話が追加された。このところ、内容がタイムリーなものばかりなので、もうついていくだけで必死である(^^;

 さて、昨日の内容とも関連するが、あの世つまり天上の世界は厳然たる格差社会である。正しく努力精進した者が報われ、しなかった者はそのまんま。
 ところが地上では一昨年くらいから、不況のあおりをうけて、どこの政党も「格差社会をなくそう」と言いはじめた。そのほうが困窮している庶民にアピールするからだ。しかしこれでは社会主義ではないか。皆して、成功者や金持ちを妬み、引きずり降ろそう、富を分配して平均化しようとすれば、社会全体が弱くなってしまう。

 この背後にあるのは嫉妬心だ。特に男性に多いのだが、自分より偉い奴、成功してる奴、あるいは儲けてる奴が居るのが赦せない。相手との位置関係ばかりに目が行って、相手が自分より上なのが気に食わない。
 嫉妬している相手というのは、じつは自分の理想像であり、ほんとうは自分がその人に成り代わりたいと思っているのだが、それができないものだから、一生懸命その存在を否定しようとする。成功したいと思うなら、その成功している人を肯定し、素直にその人から学ばないといけないのだ。

 たしかに切磋琢磨という意味での競争心は大事だが、お互いに伸びて行ってこそ意味があるのであって、自分が上に立ちたいがために相手を引きずり降ろすのであれば、あるのは停滞のみ。
 竹の節は、下の節が上の節を追い越すことはないけれども、全体がまっすぐ上に生長していく。上の者を敬い、祝福しながら自分も一緒に伸びていく。そういう社会が望ましいと思うのだ。

 幸福実現党は、弱者救済も観点に入れながら、基本的には努力した者が報われる社会を創っていく方針であります。

 神格を持つ音楽家たち

 幸福の科学の特徴的な教義のひとつに、「人間は、あの世とこの世を何度も転生している永遠の生命である」という前提があって、それは時に、「誰々は誰某の生まれ変わりである」という話や、「誰々は何次元のどのあたりに住んでいる」などという、まことに大胆な、信者のわたしでさえ、えっ、そんなこと言っちゃっていいの?!と思わされる話がある(^^;

 たとえば、書籍「黄金の法」には、音楽家の”格付けランキング”ではないけれど、住んでいる階層=悟りの高さに関する記述があって、上から順に並べてみると、以下のようになる。

八次元如来界
バッハ、ヘンデル、マーラー

七次元上段階梵天界
ショパン

七次元菩薩界
モーツァルト、ワーグナー、ビバルディー、ベートーベン(下段階)

六次元光明界
シューベルト、チャイコフスキー、ブラームス、ブルックナー

 わたしは基本的にクラシックは聴かないから、この上下関係がはたして適切なものかどうかはわかりかねるが、「ベートーベンがモーツァルトより下であるとは何事か!?」等など、音楽ファンで異議を唱える人もあるんじゃないかと思う。

 なんとなくバッハが最高峰であるという感じは、わたしにも雰囲気としてはわかる。別の経典によれば、バッハの生命体は、画家のレンブラントとしても生まれており、また神代の時代には天宇受売命(あめのうずめのみこと)という踊りの神として出て、天照大神が「岩戸隠れ」をされて、世が闇に沈んだときには、この天宇受売命が面白い踊りを踊って、天照様が岩戸の隙間からちょっと覗いた隙に、天手力男命(あめのたぢからおのみこと)という怪力の神様が岩戸を開けて天照様を引っ張り出したという。つまりは、バッハの生命体は芸術の神であるといえる。

 では、ジャズはどうなのか、やはりバド・パウエルくらいになるとショパンに肩を並べるんじゃないかと思うかもしれないが、これまた別の経典を紐解いてみると、「ジャズ音楽はせいぜい六次元まで」とのこと。
 これでも一応ジャズを生業(?)としている者だから、こんなのたんなる総裁の趣味じゃないのか?と、「格下」に見られて大いに憤慨したものだ(^^;
 しかし、屋台のラーメンとフランス料理が同じ土俵で語れないのと同じで、大衆音楽と神に奉げる音楽を一緒にして、上だ下だといってもはじまらない。

 我々にしてみれば、みんな突出した偉い音楽家で、ベートーベンがモーツァルトより偉いかどうかなんて、本田宗一郎と松下幸之助はどっちが偉いかと議論するようなものである。
 ところが音楽ファンのなかには、「俺はお前より凄い音楽を聴いてるから、俺はお前より偉い」みたいな人が結構いるから困る。どうか、単一のモノサシしか持たない単純思考に陥らないようお願いしたい。

 オーディオ界と宗教

 オーディオを趣味として活動していると、「まるで宗教やな」と口走る人によく出くわす。宗教活動をしているのを見て「まるでオーディオやな」と言った人は、いない(^^;
 宗教そのものをよく理解してないから、わたしが宗教者とも知らず「とりあえず叩いとけば間違いない」みたいなノリで言ってるのだろうが、そのたびにムカムカする。

 言ったこと、あるでしょう?わたしの目の前で。胸に手を当てて考えてみなさい。ちゃんと憶えてるぞ!今から「秘儀・音が悪くなる祈り」でさんざん苦しめてあげるから覚悟しなさい!(※そんな祈りはありません)
 冗談はさておいて、二十歳そこそこの若者ならいざしらず、いい歳した大人が他人の大切にしてる信条や思想を馬鹿にして哂うとは、なんと情けない。信じる信じないは各人の自由だが、考え方は違えどもそこはお互いに尊重しあうべきだろう。
 「信じる者と書いて儲け」とは、何が面白いんだか。どうせ書くならもうちょっと粋なことを書けと言いたい。

 わたしが幸福の科学の信者であることは、ごく一部の友人を除き、これまでネットでは公表してなかったので、今回の幸福実現党宣言で、かなり多くの人が驚かれたことと思うが、じつをいうと過去10年にわたって続けてきた執筆活動には、幸福の科学の書籍にインスパイアされたものがかなり多い。どうりで素人が書いたにしては面白いと思ったでしょ?(^^;
 もちろんアイデアを戴いただけで、文章そのものはオリジナルではあるが、幸福の科学の熱心な信者が読んだなら、「この人、仲間かな?」と思えるような箇所がいっぱい見つかるはずである。

 そういえば以前、例のUSBメモリー騒ぎがあった際、わたしが幸福の科学信者であることをバラすようほのめかして、応援していたインフラノイズ社の評判を落とそうと揺さぶりをかけてきた、まるで金正日のような卑怯者がいた。最低である。
 この際なので、ハッキリさせておく。インフラノイズ社、出水電器など、親しくさせてもらってるオーディオメーカー、およびJJ工房に集う常連メンバーの面々、村井裕弥さんその他の雑誌評論家筋は、幸福の科学および幸福実現党に一切つながりは、ない。よって、妙に勘ぐったり、諸氏に迷惑をかけたりはしないでいただきたい。

 さて、オーディオは、単に音楽の形を聴くだけでなく、時には演奏者の感情の動きや、その心情、考えていることまでわかってしまうことがあるという。
 ならば、宗教家の真偽も、自慢のオーディオ装置で聴いてみられたらどうかと思うのだ。バッハを弾く奏者の、その信仰心が本物かどうかまで聞き分ける感性をお持ちなら、本当のことを言ってるか、そうでないかがわかるだろうし、生で聴くならもっとよくわかるだろう。USBメモリーの違いを当てるより、はるかに簡単だ。
 幸福実現党の街頭演説にも耳を傾けていただきたいが、まずは「天使のモーニングコール」でブラインドテストだ。

 オリバー・ネルソン(as,ts) 『ブルースの真実』

オリバー・ネルソン(as,ts) 『The Blues and the Abstract Truth』

 昔のジャズには粋な邦題がついてた。これなんかもそう。ぜひとも邦題で紹介したい「ブルースの真実」。輸入盤にはイームズのラウンジチェアがジャケット写真に使われているものもあり、ちょうど[1]など、ミッドセンチュリーのラグジュアリーな雰囲気にピッタリだ。物悲しいテーマメロディは「嘆き」そのもの。同じリード奏者にしてみたら、ドルフィーみたいなのに先に吹かれたらたまらんだろうといつも思うのだが、さすがオリバー・ネルソンも負けてない、テナーのこよなく美しい音色で勝負する。ヴァン・ゲルダーによる録音もバッチリだ。 ★★★★★

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 今こそ馳せ参じよ!幸福実現党宣言だ

 それにしても、たいへんなことになっちゃったなあというのが本音である。5月30日にいきなりJimmyJazzに柳たけしがやって来たと思ったら、二日後の6月1日には新大阪駅の前で街頭演説のビラ配りを手伝っていた。
 新大阪だから、知り合いに出くわすことも少ないだろうと思ってたら、当店のお客さんが歩いているのを発見!さささっと素早く物陰に身を隠すわたし。決してやましいことをしてるわけではないのに、もうビビりまくりである(^^;

 幸福実現党は、すでに衆院選に向けて、小選挙区286名、比例39名の合計325名の立候補者を発表している(候補者一覧pdf)。
 彼らが一斉に、各選挙区において街頭演説を始めたのだから、マスコミに騒がれずともそりゃあ目立つ。皆さんも一度や二度は目にしたかもしれない。
 ところがそのマスコミはというと、取材には来ても記事にはしない。特にテレビ、新聞は、ごく一部が報道されたきりで、そのあとはあえて無視しているかのようだ。

 ネットと週刊誌には、ちょくちょく出てはいる。忘れもしない6月4日、党首交代の日に、コンビニで週刊誌を立ち読みしてたら、与党、野党を含む次期衆院選の候補一覧が載っていた。それには、当選議席数予想もあったのだが、わが幸福実現党は、なんと「ゼロ」であった。
 当然だろう。何の実績もない新米政党に、黙って一票を入れてくれるほど選挙が甘いはずがない。このままならほんとうに「ゼロ」議席かもしれない、このままわたしがただ一票を投じるのみであるなら…。

 候補者の名簿には、えっ?あの人も?というように、たくさんのわたしの知人が名を連ねていた。みんなほんとうに優しい人ばかりだ。人生の途上で出会い、共に学び、さわやかな笑顔を残していった。あんなに折り目正しい人たちが政治家なんてできるのかな?と心配になるほどである。
 その彼らが、勇ましく街頭に立ち、力強く演説している。元々勇気のあった人ばかりではない。最初は声の出ない人も、足が震える人もあったろうに。

 もしも、わたしが変わったなら、世界は変えられるかもしれない。勇気があれば!

 いきなり皆さんを驚かせてしまって、ほんとうに申し訳ない。心配してくださった方もたくさんいらしたようで、たいへんありがたく思います。
 思えば、わたしにとっていちばんの親友は、毎日こうして日記を覗きに来てくださる皆さんでありますから、今回、自分の立場を明らかにできたことで、やっと肩の荷が下りた気分です。

 幸福実現党の企みとは?

 何のために?何の得があって、幸福実現党なるものを立ち上げたのか?幸福の科学のほんとうの狙いは何か?
 マスコミにおいては、そのような報道がなされ、インターネットのなかでも、あれこれと憶測が飛び交っているようである。
 昨日、大川総裁の6/7付の説法のビデオを観せてもらったが、そのなかに、

 この世的に見れば、ばかなことをしてるように見えるかもしれません。

 しかし人類が不幸な未来を選択するのを、黙って見てられないんです。

 それはわたしが宗教家だからです。

 宗教というのは、正しさのために命を懸けるものです。

 と、そのような言葉があった。
 国民が不況で困っているから、核戦争の危機が迫っているから、本来は宗教家である幸福の科学が、勇気を振り絞って立ち上がった。それ以外に何があるというのか?

 ディスコでフィーバーした高校時代

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