詩的な生活

 毎週木曜の夜はアナログナイトと称して、アナログレコードをかけながら仕事をするか、仕事をしてなくてもとりあえずアナログレコードをかけると決めている(^^;
 いくらデジタル再生のクオリティが上がってもアナログの良さは捨て難い。どうしてなのかと考えてみると、結局のところレコードは詩的であるがCDは詩的でないということに尽きる。

「いつか二人で買ったレコード、かけてみれば思い出すよ」
「約束通り、あなたの愛したレコードも一緒に流しましょう」
「夜というのに派手なレコードをかけて、朝までふざけようワンマンショーで」
といった具合に、レコードは歌詞になって様になるけど、CDが歌詞に出てくる名曲というのは聞いたことがない。ハイレゾやらダウンロードとなればなおさらで興ざめもいいところである。

 同じく電話や手紙は詩的であるが、携帯電話やメールは詩的でない。
「最後の電話を握りしめて、何も話せずただじっと貴方の声を聞けば何もいらない」
「ダイヤルしようかな、ポケットにラッキーコイン、ノートに書いた テレフォンナンバー」
「みずいろは涙いろ そんな便箋に泣きそうな心をたくします」
「あたしが出した 手紙の 束を返してよ誰かと二人で 読むのはやめてよ」
 電話機も電化製品の一種ではあるが、歌詞に出てきても違和感がない。手紙もワープロで打ってたらダメだな、やっぱり万年筆かせめてボールペンで書いて欲しい。
「緑のインクで手紙を書けば、それはサヨナラの合図になると、誰かが言ってた」くらいだから。

 本を読んだりレコードを聴くのは詩的な行為なのだ。だから気持ちよくてやめられない。詩的な生活を捨て、利便性を選んだから歌謡曲は衰退し、新譜を待ち望む人がいなくなった。

ジャズの聴ける理容室 JimmyJazzさん(@jimmyjazz4343)がシェアした投稿 -


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