映画「セッション」について

 昨日観た映画「セッション」についてもう少し。予告編を見ると、「鬼教官にシゴかれながらも最後には名演奏の大団円で終わるんだろうな」と思うだろう。おっと、以下ネタバレ注意(^^;

 ある意味「名演奏の大団円」はその通り。ストーリーも単純なので、鈍いわたしでも一回観ただけでスッと理解できる。昨日は単に「ジャズ映画」と言ったけれど、この作品は「巨人の星」のような”スポコンもの”のようでもあり、「愛と青春の旅立ち」みたいな”雛が鍛えられて一人前になる”的な見方もできるが、よくよくストーリーを思い出しながら反芻してみると、これは”サイコスリラー”作品として観るのがいちばん適しているのではないかと思うようになった。

 サイコスリラーであれば、必要なのかと思われる”出血シーン”も俄然重要な意味を持ってくるし、”痛いシーン”と評判の良くないガールフレンドをふってしまう意味不明の行動だって、主人公が精神を病んでいるとすればすんなり理解できる。
 そして最後の最後まで鬼教官が”いい人なのか悪い奴なのか”の判断に迷うわけだが、”表側のオチ”として「悔しさや憎しみなどのマイナスの感情も音楽の美に昇華され、最終的には善悪を超える」という結論に達する。一方”サイコスリラー的なオチ”としては、「狂人の鬼教官にいじめられた結果、主人公も教官以上のサイコパスとして正体を現す」という怖い見方もできるわけだ。

 主人公と教官は、お互いに殺したいほど憎み合ってるから、例えば「夜道でナイフで刺す」なんていうこともできたはずだ。しかし「相手に最大のダメージを与えうるのは音楽である」とお互いに思ってるというところがこの作品いちばんの怖さなのである。


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