1974年の大晦日

 「おい、ユキオ、幕を引けぃ!」
 夜8時になると、サインポールの灯りを消し、店の窓に吊るされた厚手のカーテンを閉めるのが「営業時間終了」の合図だった。1974年当時、実家の理髪店には今のように予約などという制度はなく、8時までに入店しさえすれば、何人待っていようとも散髪を受け付ける、というのが我が家のルールだったのだ。
 しかし、大晦日の晩だけは例外で、8時を過ぎても幕は引かれず、サインポールはまだガンガン回っていた。店は朝からずっと満員で、一日中客足が途切れることはない。なぜかリスザルを連れて散髪に来るお客さんもいた。

 普段なら終了のはずが、31日は8時を過ぎてからでも当然のような顔をして、お客さんがどんどん入ってきた。この町の商売人が店じまいをしてからやっとこさ散髪に来る。かしわ(鶏肉)屋さんや魚屋さん、眼鏡屋さん、うどん屋さんが、紅白歌合戦が流れるなか次々に入って来た。散髪しないと正月は来ないと言われていたものだ。おせちの用意で、店の裏からは祖母が黒豆やごぼうを炊く匂いやら、ナマコを酢に浸した匂いがしてきて、子供のわたしには苦手な料理ばかりで顔をしかめていた。

 紅組の優勝が決まり、ようやく客足も途切れてくると、今度は店の大掃除に駆り出された。あの頃店の床は風呂場のようなタイル貼りで、洗剤をつけた棒刷りでゴシゴシやったあとバケツで水をバッシャーン!と流すという荒っぽい大掃除が行われた。店内の白黒テレビでは「ゆく年くる年」が流れていて、おかしなことに民放のどのチャンネルを回しても、同じ「ゆく年くる年」で除夜の鐘を突く様子が映し出されていた。黄色い長靴を履いてチャンネルをガチャガチャ回してたっけ。
 大掃除が終わり、新年のポスターを店の引き戸に貼り出して本年度の営業はおしまい。まだ我が家に風呂はなかったから、それから隣の銭湯へ行くのである。とっくに年は明けているというのに、お風呂屋さんも大変だったろうな。
 あの年末の喧騒を覚えているから、年の瀬が押し迫ると今も気持ちばかりが先走るのだ。


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